歴史とルーツを知れば、美味しいものがさらに美味しくなる
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大阪人にとってのソウルフードであるたこ焼きお好み焼き
大阪の食文化を語るにあたり、絶対に外せないのがこういった粉もん(粉物)による料理です。
今回はそんな「粉もん」の歴史について触れていきたいとます。

「粉もん」の歴史
なぜ「粉もん」と呼ばれている?
いわゆる粉物(こなもの)ですが、「粉もん」と呼ばれるようになったのは、1980年代になってからだそうで「吉本興業のとある芸人さんがテレビで「粉もん」という言葉を使ったことが始まり」という説があります。

「粉もん」の歴史
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大阪で粉物料理が広がった歴史には戦時中の食糧事情と戦後のGHQが関わっているようです。
戦時中は国内で米が不足していたため、その代用食品として小麦粉が使われるようになりました。
戦後も国内では食糧難が続いたことと、アメリカ的な食生活を広める目的で、GHQが大量の
小麦粉を日本に送り学校の給食でパンが出るようになったり今で言うようなキッチンカーなどが小麦粉を使ったホットケーキやカレーライスなどの料理を提供するようになったりと戦後の日本の食糧事情を支えていたというわけです。
そして戦前戦後の貧しい時代、米は高級食品だったため当時の日本人は大量にあった小麦粉を使って
様々なアレンジ料理を生み出すようになりました。
特に、戦前から大阪では粉物料理に慣れ親しんでいたこともあってお好み焼きのルーツとも言える
一銭洋食などのアレンジ料理が生み出されていきます。


全国的に有名になった理由
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全国的に広がったのは「粉もん」を名称にした日本コナモン協会の会長・熊谷真菜さんが命名して以来、メディアで協会のことや大阪の粉もんグルメが取り上げられるようになったことがきっかけだと言われています。

たこ焼き・お好み焼きの歴史
たこ焼きのルーツ
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実はたこ焼きができたのはお好み焼きよりもう少し後のことです。
お好み焼きだと小さい子供が食べにくく、さらに持ち運びにくいという問題があったため、もっと
小さく持ち運びしやすくできないかと考え出されたのが丸くて小さなたこ焼きというわけです。
さらに、明石近海ではタコが水揚げされていたこともあり、小さなお好み焼きにタコを入れて
焼いたのが、現在のたこ焼きになったとも言われています。

お好み焼きのルーツ
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前述した「一銭洋食」とは、文字通り「一銭で食べられる洋食」という意味。
平たく伸ばした小麦粉に、ネギやキャベツなどの具材を入れ、ソースをかけたものが
始まりだそうですが、そこに同じ味ばかりだと飽きるからと
様々な具材を加えて味付けを変えていった結果、「自分で好きな具材を入れて焼く」という意味で
現在の「お好み焼き」が誕生したようです。
それ以前から、「拾円焼き」「キャベツ焼き」と愛称は変わっていったようですが
各家庭やお店ごとに、肉を入れたり海老を入れたりと、それぞれに
こだわりの味付けもできてきたこともあり、今の「お好み焼き」に落ち着いたようです。
大阪では総じて手頃な価格で売られ、それでいて簡単にお腹が膨れることから
「お好み焼き」は庶民に一気に広まっていきました。
現在もおやつ感覚で食べられるものから、れっきとしたご飯として扱われるものまで
「お好み焼き」は大阪の文化を象徴する食事の一つとなっています。


まとめ
大阪はまさに「粉もん」と共に歩んできた文化を持つ地域と言っても過言ではないかもしれませんね。
「粉もん」はとにかく原価が安い割にお腹いっぱいになれるという一石二鳥の利点あり、今でも手頃に食べられる美味しい食べ物として、大阪だけでなく日本中で愛されています。