
JR大阪駅をはじめ、百貨店や商業施設、高層ビルが集まる大阪・梅田。
大阪市内ではおなじみの地名ですが、あらためて考えてみると、なぜ「梅田」という名前なのでしょうか。
漢字だけを見ると、梅の木がたくさん植えられていた土地や、梅が咲く田園風景を想像します。
ところが調べてみると、この「梅」は本来、梅の花を意味していなかったという説が有力でした。

梅田の地名について広く知られているのが、もともと「埋田」と呼ばれていたという説です。
現在の梅田周辺は、かつて「下原」と呼ばれる低湿地帯でした。
その湿地を泥土で埋め立てて田畑を開いたことから、「埋めた田」=「埋田」と呼ばれるようになったとされています。
つまり、梅田の「うめ」は梅の木ではなく、土地を「埋めた」ことに由来するというわけです。
高層ビルや巨大な地下街が広がる現在の風景からは、なかなか想像できない話ですね。
では、どうして「埋田」が現在の「梅田」になったのでしょうか。
これについては、「埋」という字の印象がよくないため、同じ「うめ」と読める縁起のよい「梅」に置き換えられたという説明があります。
周辺の綱敷天神社や露天神社と縁のある梅にちなみ、「梅田」の字を当てたという説も伝わっています。
単なる当て字ではなく、地域と関わりのある梅の字が選ばれた可能性があるようです。
ただし、「埋田から梅田へ変更された時期や経緯が明確に記録されている」というほど単純ではありません。
歴史資料を確認すると、梅田の由来には複数の説が紹介されています。
もうひとつ伝えられているのが、「梅田宗庵」という人物の所有地だったため、梅田と呼ばれたという説です。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された大阪市立中央図書館の調査では、「埋田」が変化したという説と、梅田宗庵の所有地に由来するという説の両方が紹介されています。
また、1461年の「中島崇禅寺領目録」には「埋田之内角田」という記載があるとされています。
少なくとも室町時代には、「埋田」という呼び名が文献上に登場していたことになります。
複数の説はあるものの、低湿地を埋め立てて田畑を開いたことから「埋田」と呼ばれ、やがて「梅田」の字が使われるようになったという説明が、現在は広く紹介されています。

現在の梅田は、大阪を代表するターミナル街です。
しかし、江戸時代までの一帯は、大阪の市街地から離れた田畑や湿地が広がる場所でした。
街の姿が大きく変わるきっかけとなったのが、1874年に開業した初代大阪駅です。
当時の大阪駅は「梅田すてんしょ」と呼ばれ、鉄道の発展とともに周辺の開発も進んでいきました。
その後、阪神や阪急、地下鉄などの鉄道が集まり、百貨店や商業施設が開業。梅田は大阪を代表する繁華街へと成長していきます。
湿地を埋めて田畑を開いた場所が、時代を経て西日本屈指のターミナル街になったと考えると、街の見え方が少し変わってきます。
大阪駅北側では「うめきた」の再開発が進み、梅田の風景は今も変化を続けています。
新しい施設や道路、広場が整備され、かつての街並みが大きく塗り替えられていく様子は、ある意味で梅田らしい姿なのかもしれません。
低湿地を埋めて田畑をつくり、駅を中心に街が発展し、現在も再開発によって姿を変え続ける梅田。
「梅田」という二文字の中には、華やかな現在の姿からは想像しにくい土地の記憶が残されていました。
普段は何気なく口にしている「梅田」という地名。
梅の花ではなく、「土地を埋めた」という地形の記憶が由来とされているのは、なかなか興味深いところです。
次に梅田を歩くときは、ビル街になる前の湿地や田畑の風景を少しだけ想像してみてください。
いつもの街が、ちょっと違って見えるかもしれません。